リクエストのファックス
小学6年くらいのときに自室にオーディオコンポを買ってもらい、TSUTAYAやGEOで借りてきたCDをMDにダビングして聴いたり、ラジオをよく聴いたりしていた。
コンポはヤマダ電機に買いに行った。今は無きAIWAというメーカーのもの。当時「フロントのモニターがレインボーに光る」トレンドがあって、私のものもそれだった。
先日、出勤中通りかかるカレー屋がドアを開け放していて、リルラ・リルハが流れていたのを聴き中学に上がった春のことを思い出した。
小学校を卒業した春休みから、たしか中学の一次考査あたりまで、ラジオで曲をリクエストするのに熱中していた。地元のコミュニティFMで平日毎日夕方にやっている番組にFAXを送って、メッセージが読まれるのを楽しみにしていた。
中学に入ってすぐは、部活が本格的に始まるまで帰宅時刻が早かった。小学校時代からの友人とクラスが分かれてしまい、家も近くはなく話す機会がなくなってしまった。なぜFAXを使うことになったか経緯は忘れてしまったが、手紙を交換するようにイラスト付きの手描きのFAXで夜やり取りをするのが日課になった。夕飯前、それを書く時間にちょうど流れていたのがその番組だった。
木村カエラのリルラ・リルハ、トンガリキッズのB-DASH、ケツメイシのさくら、その頃ハマってたゆずの初期曲も流してもらったような…
ラジオネームは、恥ずかしいが覚えていて「ミッキー100」。「100」は陸上部で100m走者をやっていたから、「ミッキー」は当時好きだったからか?(そうでもなかった気がするけど)
英語の教師がその番組にコーナーを持っていた。その後関連書籍を発売することになり、授業で宣伝していたのを覚えている。
やがて部活が始まり、その時間には家にいないことが多くなり、FAXでメッセージを送ることもなくなってしまった。
そのラジオ局のほかの番組には、小学生のときに作文の朗読で2回収録に参加したことがある。市内の小学生みんなに朗読するチャンスがある。年に一回、学校ごとに学年で一人選ばれて朗読をする番組だった。
作文を書くのは好きだったが、喋るのは当時から進んでやりたいほうではなかった。
1回目は低学年の時で、年一回しかないその機会に選ばれて嬉しい!という気持ちが強かったが、2回目は小学6年のときだったのでもうだいぶ喋りに対する苦手意識が定着していて、緊張で気が重いほうが強かった気がする。
朗読の後、一曲リクエストできる。この曲についてはとても覚えている。1回目は青色7の青いスポーツカーの男、2回目は嵐のサクラ咲ケを流してもらった。朗読した内容についてはさっぱり覚えていない。