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八甲田山にまつわることと山岳遭難

八甲田山にまつわることと山岳遭難

八甲田山にテント場はあるのか?と検索したところから、あの有名な「八甲田雪中行軍遭難事件」について実はよく知らなくてwikiを読み、それから日本の山岳遭難について読みあさっていた。

北海道日高で起こった「福岡大学ワンダーフォーゲル部羆襲撃事件」から北海道のヒグマにまつわる記事をいくつか読み、最近起こった大規模遭難「トムラウシ山遭難事故」についてもwikiを読んだ。もっと詳しく知りたいなと思い「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか 低体温症と事故の教訓(ヤマケイ出版刊)」を取り寄せて一気に読んだ。4/20読了。

生存者の証言から、時系列を追って詳細な状況を記した文章のほか、気象・低体温症・運動生理学・ツアー登山のリスクなど複数の観点から検証を行なっていてかなり読み応えがあった。
低体温症に関係する気象的(環境的)要因として寒さ、風、濡れの3つがあること。
水難事故の例もあり、水温20度以下では半日も生きていられないことを知り先日の知床遊覧船沈没事故のニュースを見た時は絶望的と思った。
また、雨具は防寒具ではないこと。
それでも衣服はできるだけ着ておく方が体温を維持する効果が高いということ。
疲労せずに歩き続けるために

最も望ましい解決策は、重いザックを背負っても苦にならないような強い体力を、普段から養成しておくことである。

p274

身につけるもの・持ち物の工夫以外の単純な解決策としてこれに尽きる。登山だけにとどまらず日常生活においても活きる力。これはできるだけ頑張りたい。

過去に旭岳・間宮岳だけだが日帰りで登った経験もあり、周辺の地図がイメージできた。
今まで知識と準備が乏しく、安全に登山に行けていなかったと反省した。
旭岳に関しては、麓のロープウェー駅近くの野営場で車中泊したが、寒さの想定が甘く、足用のホッカイロ(低温火傷があぶない)の熱源を頼りにして内側がフリースの上着を着てエマージェンシーシートにくるまってやっと眠れた。午後8時で外の気温は5度。夜中になるにつれ予報では上がっているけど、明け方にはもっと下がっていたのではないか?8月の夏山でもこんなに気温が下がるということは、標高も高いし事前によく調べていれば想定できたはず。シュラフを持って行かなかったこと、服が不十分なことを後悔した。かなり薄着で行ってしまった。

野営場の気温

エマージェンシーシート

大雪山旭岳 山頂

大雪山旭岳 雪渓

大雪山旭岳

雲流れが早く、時折青空も見えたが山頂は真っ白で何も見えなかった

ベッドに入ってもなかなか寝付けず、読み終わった本にあった「寒さ」「風」のことを考えていて、中学のときの遠足のことが思い出された。
中学3年間の学年主任は定年間近の女性で、数学の先生だった。
先生の趣味が登山で、中学3年間の遠足は毎年登山だった。

1年のときは階上岳。どこの登山口から登ったかということ、道中の記憶は全くない。山頂で撮ったクラスの集合写真の絵面だけ覚えている。天気は快晴ではなくて微妙だった気がする。
2年のときは名久井岳に登る予定だったが悪天候で登山は中止になり、別のことをした記憶があるがどこに行って何をしたかまでは記憶にない。
3年のときは八甲田大岳だった。
自分らの学年には、先生の中で「克己心」の成長をテーマにしていてよくこのワードを聞かされていた記憶がある。日常でなじみない言葉だったのもある。登山は克己心の成長を目的としていた。
特に3年の時は受験の精神力と集中力、達成感を登山に重ね合わせて説いていた記憶がある。

ロープウェー山頂駅から歩いた。
たぶん初秋だった。
装備は薄手のポリエステルのジャージ上下に裏地がフリースのウィンドブレーカー、革のリュック(通学カバン。市内では珍しい白黒のカラーリングのもの。正直重かった。)、キャンバススニーカー。登山靴なんてみんな持っているものではなかったと思うので最低限スニーカー指定だったのではないか。普段から履いてるやつ。

当日は、雨は降らなかったもののあまり天気が良くなかった。覚えているシーンが3つある。時系列の記憶は微妙。

一つ目は、周りが湿原の木道で休憩しているシーン。空は薄グレーでどんよりしていた。小休止の最中、これ以上進まないで登頂を諦めるという伝達があった。木道は先にもまだまだ続いているけど引き返して分岐に戻った気がする。

二つ目は、たくさん並んだ木のベンチに座ってお弁当を食べているシーン。ここで撮った写真が実家に残っているはず。ポスカで落書きして自室に飾っていた。風が強くて、私も友達も目が開いてなくて髪もぐちゃぐちゃだった。2019年に八甲田大岳に登った景色を見て、あのときの場所は大岳鞍部避難小屋だったのではないかと思った。

左下に並ぶベンチがそれか?

三つ目は、まわりがすすきか何かざわざわ揺れていて、遮るものがない稜線上で、友達数人と左右の手を繋いで歩いているところ(風の抵抗を受けそうな形態。。)。道の左側が崖とまではいかないけど急斜面になっていた。風が強くて、ハイになってキャーキャー言いながら歩いていた記憶がある。歩いた中でその場所が一番景色が良かった。傾斜を下っていた気がするんだけどどの時点のどこだったのか全然わからない。。

今となっては一人一人全員がルートを把握していたと思えない。遠足で130人ほどを引率して、標高の低い里山ならまだしも初秋の八甲田大岳に行くというのは安全性のリスクが高くないとは言えなかったかもしれないと思った。(それぞれの身体の状態や体力の差も含めて、予測不能な要素が多い。。)

それから十数年後、山へ行く生活になっているとは思わなかった。
高い山はもちろん低山でも、装備や計画を見直して安全に登山できるよう意識しないとなとあらためて思う。日帰りに加えて今後テント泊縦走を楽しみたいなと思っているところでもある。

中3の遠足も、2019年夏も、天気が良くなかったので山頂からの景色をリベンジしたい。そしてできれば秋、紅葉の毛無岱を見てみたい。大岳だけではなく、赤倉岳や雛岳まで縦走もしたい。

八甲田大岳

八甲田大岳

八甲田大岳 2019年8月11日 八甲田大岳登山の記録

余談
2013年夏の函館旅行帰りの夜、青森のフェリー埠頭から県南の自宅に戻る道中「近いから」ということで八甲田山中の道を通って帰った。「後藤房之助伍長の像」などがある道。山に入った時は全然だったのに、銅像があるあたりが近づくと霧がものすごく濃くなってきて、ライトがあっても少し前も見えない状態でしばらく走行したことがあった。運転していたのは自分ではなかったのだけど。。このときの怖さはすごかった。山の上は霧が出やすいと分かっていても。

函館旅行 行きのフェリー内

函館山の夜景

函館旅行 帰りのフェリーより 2013年8月19日 函館旅行の記録

ほかにも2014年5月の深夜、八甲田山の別荘地にある家から119番通報があり駆けつけたが誰もおらず何も起こっていなかった、というニュースもある。土地になにかしらがあると思わずにはいられない。。

※追記※

「先生の趣味が登山で、中学3年間の遠足は毎年登山だった」と記憶していたが、一つ下の弟の学年も毎年遠足は登山だったそうだ。久慈平岳と十和利山という、自分の代よりマイナーな里山。

さらに、他の中学出身の高校の同級生も八甲田山に登山遠足だったようだ。市内の中学、みんな登山遠足だったのか?