つきまとう不安

2025-09-14

他人と話す機会を乗り切るために普段より増えていた飲酒量と、積み重なっていた精神疲労のせいか些細なことでへこみやすくなっていて、デスクに戻ってから来ていた連絡を目にしただけで感情の制御ができなくなり、過呼吸混じりで泣いてしまった。しかもそれを人に見られた。戸惑わせてしまったのに泣き止めない状況とかいつものように自分へのやるせなさとかぐるぐると考え続けてしまい、それから帰ってきて寝るまでずっとひたひたしていた。起きてからは何もかも大したことねぇ😉という気持ちになったが、また思い出して少し落ち込んだりとかぐるぐるしてしまいまだちょっとその気配が残ってしまっている。

今回の疲労の原因

  • 初対面だったり親しくはない(慣れていない)他人と対面して会話する機会が直近2週間で6回あったこと
    • ものすごく消耗すると気づいた
    • 交流の意味を感じない会に長時間拘束されている事実がストレスだった(時間的に寝る時間を確保するほうを優先したく途中で抜けたが)
    • どうしてもセンスを受け入れられない人が主催の会に、会社がお金を出しているため毎回参加しなくてはいけないこと
    • 何者かわからない人にこちらから話しかけて相手のことを知ろうとすること(外ベクトル)
    • 人前で話すこと(内ベクトル)
    • 緊張してうまく説明できないこと(内ベクトル)
    • また説明できてないと周りに思われること(内ベクトル)
    • こちらに関心がなさそうな雰囲気を感じること(内ベクトル)
    • 自分の意見を考えて周りに伝えること(内ベクトル)
    • 自分の意見が出てこないこと(内ベクトル)
    • 共感できない話を聞くこと
    • 会話の流れを汲み取ってどうにか参加すること
  • 1対1ではなく1対多で話す機会が多かったこと
    • 会話に入るのが難しい
  • 進めなくてはいけない件を後回しにして進んでいないというプレッシャー

不安になったら薬を飲め | Books&Apps
この記事を見て共感することもあったので一度自分も書き出してみようと思った。

これまでに感じてきた不安と緊張、反応

明確に、体に緊張が走って硬直したと気づいたのは中学時代の部活終わり、校門のところで8人ほど輪になって会話していた時のことだった。自分が発言した瞬間に全員の視線がこちらに集まったとき、怖かった。注目されていると自覚した。声を発するのが怖かった。

その前に、小学生の頃だったかFLASH動画が流行っていた頃、「アホかと」?というサイトだったような気がするが、弟とくだらない面白い動画を見ることにハマっていて上から順に見ていた。なんだかよくわからないけど上から包丁が降ってきて指が切断されるアニメーション動画を見てしまったときに、ショックで、怖くて怖くてしばらく夜眠れなかった。眠れないことも怖くて、わざと怖いことを思い出して泣き疲れて無理やり眠るようにしていた。

中学では体育や部活で、2列になってグランドを周回するとき、掛け声のリードを順番にかけていく。「1!」「そーれ」「2!」「そーれ」…そのリードの回が回ってくるのができるだけ少ないといい、と思っていた。

職業体験で小売店に行くことになったとき、最初挨拶の日時決めの電話をしなくてはいけなかった。リーダーの自分がやる役割だったがどうしても避けたくて他の人に任せた。電話に出るのもかけるのも子供の頃から緊張して怖かった。そしてその小売店での店頭作業中、お客様がきたら「いらっしゃいませ」ということになっていたが、自分だけ声が小さく、店の人から「奥に行って」と言われてバックヤードの仕事をした。みんなのようにできない自分が悔しくて涙が出た。

高校受験の面接、親と先生との三者面談も。面談で自分のことを言われたり、どう考えているかを聞かれて心の内を声にして伝えるとき、悲しいとかではないのに泣いたりしていた。理由が自分でもわからない。

卒業式の呼びかけで一言、人前に立って大きい声で声を発するときも、出番のすごく前からもう少しだ、と緊張して構えていた。

高校に入ってすぐ、バドミントン部に入ろうと、1年生の入部希望者たちと市の体育館でやっていた大会を見学に行った。大会の終わりに顧問が1年生を集めて輪になった。感想を聞かれて、たまたま最初に当てられたが頭が真っ白になって何も出てこず沈黙を生み出し、「また最後に聞くから」と飛ばされたことがあった。何も出てこず話せなかった自分が悔しかった。

高校1年の頃、3人グループで普段お弁当を食べていたが、他のグループとも合体し8,9人になったときは会話のノリに自分を合わせるのが難しかった。入っていけなかった。元々の3人の中ではないもう一人と一緒に2人でお弁当を食べるようになった。大所帯グループのノリについていけないけど一人で食べるのは嫌だ、という消極的理由で一緒にいたのであまり話すことはなかった。向こうもそうだったのかもしれない。その時間は辛かったし申し訳なかったなと思う。

大学4年の就職活動で内定がないとき、これからが見えなくて不安で夜は眠れず慢性的に蕁麻疹が出るようになった。面接も毎回意を決して行っていた。それでも内定はもらって東京の会社に就職することができて安心はした。

新卒社員は本部勤務でも1ヶ月間店舗での研修があったが、自分は店舗での業務が足手まといになりそうと思われたのか、店舗研修をしないままデスクワークと雑務だけをやった。その会社で2年ほど働いた頃から人間関係や仕事の進め方に関してストレス過多の症状が出始めて、ちょっとしたことで泣くようなことが増えた。泣き止めなくてトイレに行ったり外に出てコンビニのイートインスペースに落ち着くまでいたり、制御できなくて人と話してる間に涙が溢れてきて戸惑わせたこともあった。あとからLINEでなぐさめられたので気を遣わせてしまったと反省したがどうしようもできなかった。ストレスを酒で発散していたのもこの頃だった。帰りが遅い時間になってもとにかく家に帰りたくなくて飲みたくて、友人が誘ってくれたらいつでも行ったし、内向的なのをどうにかしたくて荒治療的にいろんな人に会って話すこともしていたが別におもしろくもなく苦痛であることは変わらなかった。やり方が上手くなく、話が合いそうなコミュニティの中で話せていたらまた違ったかもしれないと今になっては思う。酔ったらいつもより話せると気づきはした。二日酔いではなく、頭痛で朝起きられなくなり休む連絡をすることが増えて、こんなに頭痛が続くのはおかしい、と近くにあった神経内科を受診したところ片頭痛と診断された。その治療で三環系抗うつ薬を処方されて「ちょっと結構やばいかも」と自覚するようになった。

受診したときの先生の説明メモの写真が残ってた

両親が東京に遊びに来たとき一緒に観光して、その途中有楽町の雑踏がうるさすぎて涙が出たときにカフェで休憩した。すごく心配そうな顔をしていたのが申し訳なかった。その3ヶ月後くらいに仕事を辞めた。一緒に入った新卒同期は6人中5人すでに辞めていたし、2か月前に辞めた本社勤務の同期は適応障害になって客先での会議でも眠ってしまうような状態になっていたし、ある先輩は急に来なくなってそのまま辞めてしまったし、自分は送別会も開いてもらって、頭痛も治ってまあ元気だし、次も大手のグループ会社に転職が決まっていたしギリギリで持ちこたえて強いほうだろ、と自認して(思い込ませて)いた。

その後も開発共有会や社内アワードのプレゼンなどできれば避けたい機会が多くあったがどうにかして乗り越えてきた、というかできる限りのことはやって時間がすぎるのを待った。アワードなんかは自分が選ばれて嬉しい反面、そんなことされなくてもモチベーションは変わらないから選ばないでほしい、降りたいと思っていた。その2年後に別の人が選ばれたときにその方は辞退していて、いいんだ、と思った。苦しいけどせっかく選ばれたしやらないととしか思ってなかったから。全社会の司会や業務共有会での発表は極度に緊張して異常に汗をかいた。慣れていない人と話すだけでポタポタと汗をかくようになったのはここ5年くらいな気がする。日常生活に支障があるので皮膚科やちょっと遠いところにある漢方内科へ行ってみたりしたが効果はなく、行くのをすぐにやめてしまった。そういえば、生理前の時期に会社の面談で何も責められたりしているわけでないのに急に泣き出してしまったり、パートナーに家にいてほしくなくて一人になりたかったり、そうかと思えば自分がこういうふうになっても周りの人が去っていかないか漠然と不安になり眠る前に悲しくなって泣き止めなかったり、PMDD(月経前不快気分障害)的な症状が辛かったことがきっかけで婦人科で低用量ピルを処方してもらい服用するようになってもう5年以上経つ。ホルモンの波による精神症状は大幅に改善されて基本的には穏やかに暮らせており、飲んでいなかった頃の生活には戻りたくないと思ってしまう。ただし、少し負荷がかかったり状況によっては最初に書いたような打たれ弱い状態になってしまう。

不安症

社交不安症の要素がありそうと思っていて、年々つらさが増しているが、いっとき非常に辛くなっても、それは一瞬で、日常を取り戻せば辛さを忘れてしまうため精神科や心療内科を受診したことがなかった。そりゃ克服したいから場数踏んだら慣れると信じて機会からは逃げないようにしてきたし、荒治療的なことも試してみたし、それでも根本的に子供の頃から変われていなくてまた同じことでつらい気持ちになっている。成長していなさを感じる。責任の重いことを引き受けるのを増やしていくのが成長だとすると、一定からその責任の重さに耐えられない(その一定のラインを上に上にする速度は人それぞれとしても…)。だいたい自意識が高すぎることが原因している気がする。薬を飲めばどれくらい楽になるのか、と考えることもあるが、多少の時間やお金をかけてまで行く必要はあるか?と踏み出せていない。そういう気質があるくせに比較的刺激のある環境を自ら求めてしまっている。新卒の会社での経験が「やばいときは多分なんとなく自分で気づけるし、なんとかなるだろ」と楽観的に思わせている。ただ、これを書いている今も頭全体がギュッと締め付けられている感覚が続いている。他者との違いがあっても尊重し柔軟に受け入れたい気持ちがあるが、自分が固まってきている気もしている。