過渡期
7月は丸々有休消化だったが、後半は業務委託としてほぼフルで働いていた。ネパールから帰ってきて若干体調を崩してなにをする気力もなかったときが一番落ちていたし、これからやれんのかついていけるのか応えられるのかと不安だった。もっと遊んだり休んだりしなくてよかったのか、とまわりに聞かれたが、何もしていないとひたすら不安になる質だから結果的にはよかったと思う。(金もないし)
7月半ば、定期の婦人科通院で5月の検査の結果を聞いた。レベルが1進行していた。しかしまだ注意して経過観察の段階らしい。レベル分けが細かいとのこと。次レベルが進行したら手術らしい。手術しても妊娠可能性は残るらしいが。まだ大丈夫だけど、リミットのことを考えた。まあもう若くはないよなと思う。子がいてもいなくても楽しく過ごせるだろうと心から思うが、いざできない可能性を考えるとちょっと泣きたくなった。そう思うんだ自分、という気づきがあった。漠然と今ではない、◯年後とかちょうどいいなとか思うけど身体はコントロールできない。今の社会的状況では1,2年とりあえずちゃんとやれることやりたいという気持ちではある。が、社会生活だけでなく人生全体をよく考える必要がある。でもいったん置いておいてる。(今カレンダーを見て、振り返って思い出した)
ずっと置物だったテレビを回収してもらった。一人暮らしを始めたときに買った22型のレグザ。まだ使えるけど使ってなかったから。回収だけで7,000円くらいかかった。高い。買うのは一瞬でも、捨てるのに労力とお金が要る。そういうことが多い。
テレビ回収が朝一で済み急遽時間ができて、3ヶ月ぶりに歯医者の定期検診に行きクリーニングをしてもらった。フロスが習慣化しているからか、きれいな状態を保てていると褒められた。
平日夜、従姉妹と定食屋でご飯を食べた。奄美のお土産を本当に大量にもらった。そのときもらったたくさんのお酒はわりとすぐ飲みきってしまった(おいしかった)。ご飯系はありがたくすこしずつ在宅勤務のときに食べている。
7月前半はバタバタしていて全然行けていなかったピラティスをラスト1週間に詰め込む。3回は行った。1回ロス。2日連続で行くと2日目が筋肉痛できつい。
最終週の日曜は友人たちとお茶のアフタヌーンティーへ行った。満足感が高い。街遊びが久しぶりの感覚。ここらへんが暑さのピークだったのでは、と今になって思う。
24日と30日、久しぶりの友だちとそれぞれ会った。どちらも偶然トリキ飲みで、一週間で2回トリキに行った。塩の串が絶望的にしょっぱい。2回目は学んでタレばかり食べた。2軒目、ものすごく久々に思い出横丁で飲んだ。今は外国人しかいない。久しぶりに終電、結構飲んだが心地良い酔いだった。今はなき経堂行0:52発の終電を思い出した。よく乗ってた。コロナ禍から繰り上がってその時間の電車はなくなった。
7月最終日の昼に、しばらく北海道出張のYを見送り、いつも通りの夕食を食べ翌日の初出社に備えて早めに就寝。
8月1日朝郵便局にて、保険証を速達で前職の会社に郵送してから初出社。就業後上司と飲み、延々と飲みながら話したくなってしまうので反省する。月初2日が終わって「週末だ!」と家につく頃には泣くほどくたくただった。まじで、疲れで泣いていた。必要以上の人疲れ。昔よりもひどくなってる気がする、なんでうまくできないんだ、とかなりネガティブになった。初動の労力。
土曜は11時くらいまでベッドでゴロゴロして、地面師たち1,2話を見て、ケンタッキーをデリバリーして、たくさん食べたら眠くなって目を覚ますと15時だった。デスク設置のため、汗だくで部屋の模様替えをしていい感じに収まった。ネットラジオがいい感じのミックスだった。
プライムデーのセールで買ったモニターをやっと箱から出して仮設置。そのモニターにPCを繋いで、横になって電気を消して老人Zを見たが、かなり好きだった。老人ハッカーたち。女子大生と原付。思ったより後半ががっつりSF要素強め。その後もう1本、うとうとしながらまわり道を見て寝た。結局何も変わらない暗さがあった。一日、存分に一人で好きなようにすごして気力が回復した。MBTIがIから始まる人間だと強く感じた。