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やませのまちから

やませのまちから

東京の帰宅ラッシュの時間帯を避けるため夕方遅めの新幹線に乗ると、車窓はだんだん暗く夜になっていく。
遠くに奥羽山脈、平野の田んぼ、ドラッグストアやスーパーと住宅街、山の間の集落、なにもない緑の平地、ところどころに明かり、暗い窓に反射して映る車内。
雨の中をすごい速さで移動する。窓に当たる雨の音が次第に大きくなった。
東京駅で乗り換えて、道の駅で買った長芋とついさっき夕方にイオンの八百屋で買ったにんにくを手に中央線に乗っていると不思議な気持ちになる。
最寄り駅に着いてちょうどゲリラ雷雨に振られた。いろんな状況が相まって気が沈む。

八戸は、春が一番さわやかで明るいと思う。
GWはいい天気だった。無料開放していた鮫角灯台にのぼり、広いタイヘイ牧場、馬たち、葦毛崎展望台、白浜、階上岳まできれいに見わたすことができた。空が広かった。
種差海岸の広い広い芝生ではたくさんの人がゆったり過ごしていた。ピクニックをしているグループ、走り回る子どもたち、ご機嫌な犬、寝ころんでいる人。青と緑が美しかった。その、気持ちのいい季節はほんの一瞬。
海のほう 鮫角灯台 種差海岸

一転、初夏から9月頃にかけて肌寒い日が続くことがある。太平洋側に吹くやませの影響で晴れづらく気温が上がらない。
やませで一番思い出されるのはピアドゥ(イトーヨーカドー)の屋上駐車場の記憶。
空は低くグレーで、海が近い工業地帯を再開発した場所にあるので周りの工場の臭いなのか空気が良くない。霧雨・小雨のときは特にひどい。
あのいろんなものが混じったにおいがしてくると八戸だなと思う。良い記憶ではないけど。今年の8月末でイトーヨーカドーはあの建物から撤退するらしい。
今回の帰省の天気で、八戸の夏ってこうだったなと思い出した。気温はずっと13度前後しかなくて、風もあり寒かった。夏は灰色。

下北の広いこの山野がまだきわめて粗放な利用しかされていないのは、やはり夏のヤマセが一つの障碍になっているのではないか。七月から八月へかけて東の風が多く、その風は雨雲をひくく海から吹きつけ、海岸から六キロくらいまでの間の山野をおおい、小糠のような雨を降らせる。それが大地を冷えさせてしまって真夏というのにいろりの火がたやせない。それがこの地域に住む人たちの生活をどれほど暗くしていることか。
宮本常一 「私の日本地図3 下北半島」p26

以前買った本の中にやませについての記述があった。下北も同様らしい。地元を出て今でも梅雨になると気がふさぐことが多い。低気圧が影響しているのだとも思う。「雨が続いて気が塞いでくると日記を書きたくなる」と前の日記にも書いていた。自分と話して気を紛らわせている。

先週末、少し早めの祖父の誕生日でみんな地元に集まった。もうすぐ90歳になる。「これが最後の誕生会になるかも」とか言われるともうすぐある死を意識せざるを得ない。客観的に、幸せな人生だと思う(それは本人にしかわからないけれど)、自分はどうか?与えること、助けることが出来ているか、もっと出来るのではないかと思う。
地元に帰って自分の生活から離れると、直接、人に触れることが増える。祖母を手助けしたり気にかけたり、近くに住んでいない自分は何もできていないなと思わされる。両親はまだ今は元気ではあるが、自分も歳を重ねているのだから同じだけ老いている。
自分が何をしたいかとか何が欲しいかとか普段そういうこと(ばかり)を考えているけれど、短期間だけ忘れていられる。そういう時間から自分の生活に戻ってこなくてはならないときに不安定になってしまう。最近。ギャップが有る。それが新幹線の時間。GWは天気が良かったし人と一緒だったから良かったけど、曇天のまちから一人で、だとかなり沈んでしまった。自分の意志を強く持って信念に従い選択して自信を積み重ねて(壊れないように)いるはずだけど一瞬よくわからなくなる。でも自分の生活をするために頑張らなくてはならない。そこそこがんばる。生活は続く。

自分の人生は自分でよりよくしていくしかない。よりよくしたいとは思っている。(よくする、とは?) 死ぬときは一番に、「みんなありがとうね」と思いたい。色々あったけれど楽しいときがたくさんあってよかったなと思えるようにありたい。だからやるしかないなと思う。行きたいところもやりたいこともたくさんあるし。生きのびる。