北海道Day3(稚内・利尻)
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2022/8/9の記録
朝起きると、雨は止んでいた。
前日、温泉に向かう道中遠くに見えた稚内港北防波堤ドームが気になったのでチェックアウト前に散歩しに行った。
戦前に作られたものらしい。遠くまで長く続き、圧巻だった。風や波や雪から多くの人を守ってきただろうと想像できた。
その後、朝ご飯にあたたかい蕎麦を食べた。
チェックアウト後、歩いて稚内フェリーターミナルへと向かう。この頃には空はすっかり晴れていた。
フェリーに乗り込むとさっき見た防波堤ドームがよく見えた
11:10発、稚内~利尻島(鴛泊)行き、2等客室。
フェリーの売店で稚内牛乳の塩バニラアイスを買い、外の席で食べた。外の景色が気持ちよかったので、しばらく眺めていた。
稚内の開基百年記念塔が遠くなっていく。海の色が緑から深い青に変わる。
CONTAX G1, Carl Zeiss Planar T*45mmF2, PORTRA800
12時半過ぎには利尻富士が目の前にきれいに、くっきりと見えた。かっこいい。雲がずっとかかっていたけどいつの間にか消えていた。
13時前、利尻島に上陸。
フェリーターミナルに、この日泊まるペンションの方が迎えにきてくださっていたので、車に乗ってまずペンションへ向かった。荷物を置かせてもらい、空いていた自転車を貸してもらえたのでサイクリングをした。
まずフェリーターミナルの方まで戻ってきて、ターミナルの前の軽食屋でザンギバーガーと鹿肉の肉まんを食べた。お腹が空いていたこともあって、熱々のお肉がとても美味しかった。
遠くから見えていた特徴的な形の、ペシ岬にのぼる。
稚内も、礼文島も、たぶんサハリンも見えた。
CONTAX G1, Carl Zeiss Planar T*45mmF2, PORTRA800
鴛泊燈台は、1971年時点では「鴛泊の町から比較的近いせいもあって、三名の職員が家族と共に常住するという、昔ながらの形態をとどめて」いたそう。(「全国燈台と岬」1971年出版より)
今は周りが草だらけで近づけない、寂しい雰囲気だった。
今は稚内と鴛泊を結ぶフェリーは一日3往復(冬期は2往復)あるが、昔はもっと拠点が多かったよう。
「小樽からも月に七便ほど就航しているが、稚内からは利礼運輸の連絡船が鴛泊・沓形・仙法志・鬼脇・香深・船泊の各港を回っていて、両島を巡って日帰りも可能。(「全国燈台と岬」1971年出版)」とある。
下の図は、古本で買った1967年刊行の雑誌に載っていた北海道の交通網。もうとっくに廃線になった国鉄の路線や、かつてあったフェリーの航路がわかる。いちばん交通手段が豊かだった時期?北海道が一大行楽地となり観光ブームだった頃なんじゃないか。国道沿いのドライブインも次々できて、賑わっていたんだろう……。過去の産業や地域の歴史がわかる遺構を見るのは面白い。
HIKER 1967年7月号「ワイド特集 北海道」p45
今回は礼文島には行かなかったが、お花畑のハイキングが楽しそうなのでいずれ行ってみたい。
その後、島内唯一のコンビニ、セイコーマートで明日の食料と飲料を調達。
夕日ヶ丘展望台からは利尻空港の滑走路も見えた。
坂を登ってペンションまで戻ってきた。
奥に見えるのは礼文島
のぼったペシ岬
夕食の時間前に、コインランドリーで溜まった洗濯・乾燥をしつつ、温泉に入浴した。
貸切状態の露天風呂では利尻富士が目の前に見えて、最高だった。
夕食会場からはだんだんと夕陽に染まっていく山が見えてとてもきれいだった。
炊き立てのウニ釜飯やホッケの塩焼きなど、ご飯もとても美味しい。
翌日の出発は朝早い。夕食後ゆっくりして就寝。
🧖温泉
マルゼンペンション レラ モシリ
宿泊利用
源泉名
利尻富士温泉
泉質
ナトリウム一塩化物・炭酸水素塩温泉
泉温
41.3℃
適応症
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、疲労回復、慢性消化器病、冷え症など